桜が満開の今、とと日記だけどしばし先代Jojo兄ちゃんのことを・・・
2012年、桜の満開宣言が出たのは4月9日。満開の桜の下、楽しくお散歩をして思いっ切り公園を走り回った日の夜半過ぎ、Jojo君はお星さまになりました。
12歳と9か月、ただただ幸せな桜色の思い出だけを残して・・・
前年の夏の12歳の誕生日に脂肪織炎が再発してから十字靭帯断裂、心臓肥大、甲状腺機能亢進症と様々な病名が明らかになり、投薬に次ぐ投薬。検査に次ぐ検査。何軒もの動物病院を回り、手術を勧められましたが全身麻酔が難しい状況を踏まえ、手術を断念。
でも最後はお家から車で1時間ほどの優しいホメオパシーのお医者さまにかかり、お薬は大好きなかぼちゃやサツマイモで包みムシャムシャ。亡くなる直前迄これまた大好きな鹿の骨をガシガシ。病気が分かってからも毎日公園を散歩し穏やかな日々を過ごしていました。
満開宣言前日にも不思議なことが・・・。お医者さまのところからほど近い森戸海岸に一瞬だけ寄ろうと海に出た途端、目の前の富士山頂に夕日が沈んで行きました。
1999年7月21日に生まれてからただただ幸せな毎日をくれたJojo君。
Jojoのおかげで家族中がマルチーズのとりこになっちゃったね。
孫がいなかった両親にとっては孫代わり。
爺じはマルタ島に「マルチーズのルーツに会いに行く」と言って出かけて行ったり。
(マルタ島ではマルチーズには一匹も会えなかったとぼやいてたっけ)
甲状腺機能亢進症から甲状腺癌の疑いに変わったのはみんみんが生まれた翌日。
爺じとばぁばにとっては長いこと待ちわびていた孫の誕生でした。
3軒回った高度医療のお医者様は皆、甲状腺癌は手術をしないととても苦しむことになるけど、心臓と肝臓が全身麻酔で持たない可能性もある。仮に手術をしてうまく行ったら14歳位までは生きるかも・・・と
幾つもの眠れない夜を過ごし、悩んで、悩んで、悩み抜いて・・・12年間一度も家族のもとを離れることがなかったJojo君を冷たい病院に入院させ体にメスを入れるのは年齢的にもあまりに酷だという結論に達しました。この間、親身に相談に乗って下さり、動物病院を紹介して下さった先生、ホメオパシーの先生を紹介してくれた友人、知人・・・本当にいろんな方がたに感謝の気持ちで一杯です。
手術をしなかったら、癌の進行度合いによっては冬を越せるかどうか・・・と手術を勧めて下さった先生がたは仰っていました。桜の季節を一緒に迎えられた時はちょっとした奇跡のように思えました。
亡くなるしばらく前、ホメオパシーの先生がJojoを診て、「あれ? 甲状腺のしこり、大きくなっていないなぁ。このまま進行がゆっくりで行けちゃうかもなぁ」。そんなお話を受けてあの日、春の暖かな風の中を走っているJojoを見て「このままこの時間がずっと続いてみんみんが物心つくまで元気なままに違いない」と満開の桜の下みんみんと散歩しながら思ってしまいました。
Jojoとみんみんの唯一のツーショット
ずっとトリミングにも行けないままだったのでちょっとくたびれた感じのJojo君。
楽しい一日を過ごし、体をきれいに洗ってご飯も食べ、かぼちゃでお薬を飲んで、デザートの鹿の骨をおしゃぶりして。
そして零時を回ってどの位だったのでしょう・。数日前からの咳が気にはなっていたのですが、大きな咳をした途端、エビぞりになり、心臓発作を起こしました。
無我夢中でJojoの名前を叫び、心臓マッサージと人工呼吸をし、その時のことは良く覚えていません。が、パニックの中、母に電話をし、気づいた時には母を助手席に乗せ救急病院に車を飛ばしていました。
高速の出口を間違えて絶望の声を上げた時、Jojoが大きな声でワンと啼きました。
「もういいよ、ありがとう・・・」と言ってくれたのでしょうか・・・Jojoは母の腕の中で静かに息を引き取りました。
Jojo君、Jojoには沢山の沢山の幸せな時間をもらって・・・どれも忘れられない楽しい思い出ばかり。ありがとう、ありがとう、ありがとう。Jojoも幸せだったかな? 最後の瞬間まで怖い思いや痛い思いをさせなくて済んだことだけは悔いがないよ。Jojo、幸せだったよね?
みんみんと並んでる写真、「もう僕がいなくても大丈夫だよね」って言ってたのかな?
みんみんと同じ名前のマルチーズのブリーダーさんを見つけ、しかも大事に大事に小さな天使たちを育てて送り出していることを知った時はまたまたJojoが小さな不思議を起こしてくれたのかな、と思ってしまいました。
それからずっと、時が熟してご縁があった時にこそJojoの弟分が来るに違いないと毎日毎日ブリーダーさんのブログを見ていました。
富士山頂に夕日が沈んで行ったように。Jojoが満開の桜の下を歩いた後突然旅立って行ってしまったように。自分の力を超えた目に見えない力が働いて運命の子が来ると信じて。
Jojo 弟分が来ましたよ。いたずらっ子のToto君。そして今年満開の桜の下を とと と歩きました。
爺じもばぁばも笑顔一杯。皆でJojoを偲んでこの間出かけて来たよ。
ありがとうJojo、そしていつまでもいつまでも大好き!
又会える日まで虹の橋のたもとで遊んでてね。そしてととのことを見守っていてね。Jojoにしてあげたこと、してあげられなかったこと、すべてひっくるめて幸せにしたいと思ってます。そしてJojo君がそうしてくれたように、それ以上のたくさんの幸せをととからもらうことになるんだろうなって。
今日は出番が少なかったとと君。
と:「Jojo兄ちゃんよろしくぅ!!です」
Jojoの命日は「桜が満開の時」なのでちょっと許してね。
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On April 9th 2012, the cherry blossoms were in full bloom. On that night, after a wonderful day, Jojo suddenly passed away. He had a heart attack.
In the summer of 2011, when Jojo turned 12 years old he was diagnosed of hyperparathyroidism, cardiac hypertrophy followed by a ligament rupture. The day after the birth of Min Min, the doctor stated that he may have thyroid cancer. The only way to save him was surgery... but then his heart and liver were too weak to go through general anesthesia. After spending countless painful & sleepless nights we decided to give up the idea of surgery. We were told that he may not even be able to live throughout the winter of 2011-2012. When Jojo was running around under the cherry blossoms last year, everything seemed like a miracle which would last forever.
Jojo had been a grandson to my parents but in the 1 and only picture with Mirai, he seemed like he was saying "Now you are going to be OK without me".
On the day preceding his death, only per coincidence we saw the sunset going down on the peak of Mt. Fuji. It all seemed like magic.
When I found out a maltese breeder bearing the same name as my niece Mirai, I thought that it was Jojo's little magic. I believed that the right time will come when fate will lead us to adopt Jojo's younger little brother. Jojo, can you see us?
Toto, your brother has become a member of our family!