(以下令和初日に個人的に感じたことのつぶやきと記録です…
長くて重いのでスルーして下さいね)
長くて重いのでスルーして下さいね)
平成から令和へ
メディアもSNSも…
世は浮かれていましたが
日本以外の国ではごく普通に
4月30日が暮れ
5月1日を迎えていたことでしょう。
平成最後の日に訪れた
知覧の特攻平和会館で
叔父の兄の写真と出会い
(そのこと→☆)
自分が初めて訪れた
所縁のない南さつまの地が
実は所縁があることを知って
私は不思議な気持ちでいました
メディアでは平和だった平成
平和であり続けるであろう令和…
「平和」ということばが
あたかも当然のごとく
軽く連呼されていましたが
戦争を知らずに育った私は…
新しい時代を迎えるにあたり
その平和がとてつもなく大きく
重い犠牲の上に
成り立っていることを今さらながら
頭ではなく
身を以て・細胞の一つ一つで
感じ取る経験をしたのです。
メディアに翻弄されやすい国民性…
ちょっと俯瞰してみれば
今どれだけ世の中がもろく
不確かな情勢で
浮かれている場合ではないことが
わかるはず…
そんなことを真摯に考えながら
新しい時代の初日を迎えたのでした…
令和元年5月1日は
その日から始まった
吹上浜の砂の祭典を見に行きました
吹上浜といえば
亀の産卵で有名♪
シンプルで素朴な砂浜かと思いきや
整備された
大きな綺麗な公園があり
浜までは遠く
雨だったため、結局砂浜まで
辿り着けませんでした。
公園の中には立派な砂の作品の数々♪
ガリバー旅行記や
不思議の国のアリスなどなど
巨大な砂の城は圧巻でした♪
ところで
その砂の祭典の会場から
車で戻る途中
道沿いに100メートルほど
灯篭が建っていて
<万世特攻平和祈念館>
という表示がありました。
「あれ?知覧からかなり離れているのに
ここにも?」
と思いながら通り過ぎて行きました。
鹿児島の特攻隊の出撃地として
私が以前から聞いていたのは
陸軍の知覧基地と
海軍の鹿屋基地の2つだったので
ひっそりと掲げられた看板を見て
とても意外に思いました
そんな平成31年4月30日と
令和元年の初日を過ごした私はその後
知覧特攻平和会館の
「知覧の日常」というコーナーで見た
もう一枚のパネルの写真のことを
旅行から戻って
調べはじめました。
叔父にうり二つの少年と共に写る
4人の少年…
4人の少年…
17歳4か月の叔父の兄(右上)と
真ん中の子犬を抱いた子が
17歳2か月で最年少…
それを囲む18歳の少年たち
この写真は特攻隊を知る人々の間では
(そのこと→☆★)
長らく知覧で撮影された写真だと
思われていたそうです。
が、しかし真ん中の子犬を抱く少年の
絶筆となったハガキの消印が
知覧ではなかったことが判明。
絶筆となったハガキの消印が
知覧ではなかったことが判明。
写真が撮影されたのは
私が通りがかった
万世飛行場だったのです。
万世飛行場だったのです。
そして吹上浜海浜公園の
砂浜までのアプローチが
長く遠かったのは
今の公園の一部が
長く遠かったのは
今の公園の一部が
終戦直前の4か月だけ
急遽作られた飛行場の
急遽作られた飛行場の
滑走路だったから…
万世飛行場は世間では
知覧飛行場と混同され
見過ごされた
『幻の特攻基地』だったそうです
『幻の特攻基地』だったそうです
しかもあの写真は少年たちが
死を覚悟した出撃を控えた
わずか2時間前に
撮影されたものでした。
わずか2時間前に
撮影されたものでした。
そんな想像を絶する状態の彼らの前に
よちよちとあらわれた子犬…
実家でチロという子犬を飼っていた
真ん中の少年が『チロ、チロ…』
と呼び寄せたそうです。
チビチビのチロが
極限状態の彼らに笑顔をもたらしたこと…
神様が与えた
小さな救いだったのでしょうか
小さな救いだったのでしょうか
今日の平和が彼らをはじめとした
とてつもなく大きな犠牲の上に
成り立っていることを心に刻み
今の時代に語り継いで行くことの大切さを
今さらながら重く受け止めました。
叔父も叔父の母親も
特攻で亡くなった兄のことを語ることは
ほとんどなかったと言います。
叔母や従妹がそのことを
知ったのは数年前のことでした。
(*従妹は今「平和の語り部」としての地道な活動をしています)
(*従妹は今「平和の語り部」としての地道な活動をしています)
平成から令和に移るその時に
かの地にいたのは
偶然ではなく必然だったのでしょうか。
偶然ではなく必然だったのでしょうか。
今回訪ねることのできなかった
万世特攻平和祈念館を再び
訪ねたいと思っています
最後に…
高橋少年の出撃前の様子を
綴った一通の手紙…
記録のため残します。
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<隊が滞在していた佐賀県東背振国民学校に勤めていた女性から
高橋峯好伍長の母にあてた手紙>
いよいよ○時十分
特攻機の側に立たれた可愛いお姿。
飛行帽の上に日の丸の旗で鉢巻をきりっと結ばれ
真白いマフラーを衿にちょっとのぞかせて
ダブダブの飛行服
腰には可愛いお人形をつって
ほんとに絵から抜け出たようなお姿でした。
特攻機には一杯、美しい花がつまれ
何十とお人形さんがつるしてありました。
そのなかに五月人形のように
チョコットこしかけられました。
峯好様は最後まで笑って挙手の礼をして往かれました。
「峯好は笑って死んだとつたえてくれ」
と云って往かれました。
私は「危ない」という声も耳に入らず
峯好さんの愛機の翼をしっかとつかみました。
無意識でしたが、この飛行機を止めようと思ったのでしょう。
だが、何でとまりましょう。
車輪が徐々に動き出しました。
ひきづられても、翼にすがった私は
とうとう置いてゆかれました。
老若男女は、旗を振り、カサ、ハンカチ、帽子、服を
思い切り振りました。
みな眼を真っ赤に泣きはらし。
こんな悲しいこと、
お母さんにお知らせしてはいけなかったのでしょうね。
お許し下さい。
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